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自叙伝

生きるために理容師の道へ

訓練所をクビになって数カ月の間は、クリーニング屋やらテキ屋やらでアルバイトをして生活した。夢とか目標のようなものはまったく持てず、ただあてもなく働いていた。そしたら、住んでいるのが壁のうすい長屋やから、壁越しに「あの子まだちゃんと働いてへんのか」とか隣人の話し声が聞こえてくる。いつまでも親にメシ食わしてもらうわけにはいかへんな。そう思って、俺はある理容室に住み込みで働くことにした。この時、17歳。

その店は、距離にして家から500メートルほどしか離れてない、ごく近所にあった。
見習いになったといっても、まだ仕事の面白さはわからんかった。だから仕事が終わったらパチンコ屋で散財して、銭湯に行って、向かいの中華料理店でラーメン食べて、寝るという生活。もう破れかぶれやった。店の前を同じ年頃であろう修学旅行生の一団がバスで通ると、まあ、いきいきとした姿が車窓ごしに見えて、気分など良いはずもない。むしろグレますわね。かたや白衣を着て負のスパイラルに陥った生活を送っている自分がいるわけやし。やりきれないことこの上なしで、まだ周りのせいにしてやり過ごしていた。

そんなある日、俺の心に火がつく出来事が起こった。以前からそりが合わなかった先輩の理容師と、ふとしたことから言い争いになった。ふつうは後輩がどこかで折れるところやろうが、この時は頭に血がのぼって、こてんぱんに言い負かしてやった。
それでも、幼い頃から喧嘩両成敗という言葉は知っている。少し落ち着いてから、周囲はお互いに謝って、場を収めるようにするんかなと思ってた。でも、当時は俺がまだお金も稼いでいない見習いやったから、分が悪い。店主に頭を押さえつけられて、「謝れ」となじられた。「悪いことしてへんやないか」と俺が言い張ったら、返してきたのは「おまえは仕事もできひんくせに」と一言。これがめちゃめちゃ悔しかった。でも同時に俺は、「仕事さえできたらええんやろ」と心の中で叫んだ。反発心が目覚めた瞬間やった。

この出来事がなかったら、今の俺はない。悔しい、つらい、破れかぶれの生活といったマイナスの気持ちが、反発心で一瞬にプラスへと切り替わった。ここで俺は、技術者として道を究めていくと心が定まった。
その翌日には、中古車屋へ行って、廃車のシートを譲ってもらった。それを鉄工所へ運んで足をつけてもらい、家へ持ち込んだ。これで家に練習部屋が完成。

それからは近所の友達を呼んで、ハサミでチョキチョキした。謝れ、と言われたことを思い出すだけで悔しくて、悔しくて。なめんなよ、今に見てろ、という気持ちを持ち続けて、毎日のように練習を重ねていった。