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自叙伝

技術者から経営者へ。スタッフ100人めざして

父の逝去後に、実家へ顔を見せる機会があった。

その時、おふくろが何やらざらばんし(方言、更紙のこと)のチラシをどこかから引っ張り出してきた。

よく見ると、物件情報が印刷されていて、赤色や青色の鉛筆で印がつけられている。

「お父さんが元気やった時に、よく印をつけてたんやで。お前に店を持たせるのが夢やったんや」とおふくろ。

その言葉に、「ありがたいな」と素直に感謝することができた。

おやじの夢。それを効いた瞬間に、俺は自分の店を持つことを決めた。

そして、何の根拠もなかったが、どうせやるなら、圧倒的に結束したチームをつくろうと決めて、

「15年以内にスタッフ100人のチームをつくる」との期限付き目標を設定した。

これこそ、俺が常々伝えてきた「遠くへ石を投げろ」との言葉の源だ。

 

 

1988年7月8日。俺は第1号店として「おしゃれサロン イマムラ」の店名で理美容店をオープンさせた。

スタッフは2人。

それでも「平成15年7月までに、この店はスタッフ100人にします(原文ママ)」と紙に書いて貼り出した。

懐かしい思い出やけど、お客さんから「100人って、おまえうそやろ」と言われた。

それでも「いや、必ずやるんです」と自信を持って返していた。

店は17坪ほどだったが、バブル景気による影響もあって、

建物の施工業者があらかじめ決まった条件付きの土地しか買えず、総額は7300万円もかかった。

その後、91年に有限会社アイムインターナショナル(以下、アイム)を設立した。

お客さんは、地元で有名な医師や弁護士、会社を経営する社長、敏腕な営業マンなど、

いろんな職種の方がどこからともなく噂を聞きつけてやってきた。

そこでカットをしながら熱い想いを語っていると、

「お前、おもろい男やなあ」「話聞いてたら元気もらったわ。ありがとう」と喜んでくれ、一万円札を置いていくお客さんもいた。

あるお客様は、物を売る営業マンだが「自分は話し下手で営業に自信がない」とカット中に相談を受けた。

俺は営業経験などないが、商売は昔から得意だし、感覚が身についている。

だから、自分が考えていることを口にした。

この営業マンは、それから数年後に、エリアでトップの営業成績を収めたと聞いている。

また、目標としていたスタッフの数は、一進一退をくり返していた。

独立した当時は「成功しないはずはない」「努力していれば、自ずとお客様もスタッフも増えていく」と信じてやまなかった。

わずか数カ月で、雇い入れた2人のスタッフがともに退職を申し出た。

先生はいつも、「『経営者も従業員も心ひとつに』って言いますけど、そんなキレイごとを言ってたら笑われますよ」と、捨てゼリフを吐き店を去っていったのだった。
この時に俺は、他の経営者のもとでの店長の経験か経営者ではまったく通用しないことがわかった。

俺は、スタッフにすり寄るような姿勢をとったり、別の手法を取り入れたりということはしなかった。

目の前のことに左右されて、姿勢や考え方をコロコロ変えるのはおかしな話だ。

この時に自分の考えを変えていたら、現在のアイムはなかったと思う。

独立から7年を経ても2店舗でスタッフは8人だったが、それでも、「平成15年7月までに、この店はスタッフ100人にします」と掲げた目標を俺は毎日言いつづけた。