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自叙伝

祖母と母の姿で学んだ「客商売」

俺は、京都の下町で生まれ育った。

この地域ではよく見かける、うなぎの寝床のような奥行きの長い家々が壁で仕切られた長屋に、祖父母と両親、2人の叔父、兄、そして私の8人暮らしだった。

おじいちゃんとおばあちゃんは、露天商をしていた。
おやじは工場で働き、おふくろは家の軒先でお好み焼き屋を開いて、皆で懸命に働いて日々を暮らしていた。俺ら兄弟が幼かった頃は、お好み焼きを焼く台の脇に寝かせての仕事だったという。

おふくろは、いつも笑顔で
「いらっしゃいませ」
「ありがとう、また来てな」
とお客さんに言葉をかけ、忙しくなってくると遠慮なく、
「皿洗(あろ)て帰ってな」
と平気で口にした。

すると、お客さんも
「人づかいが荒いおばちゃんやなあ」
と笑いながら手伝ってくれる。そんなお客さんとのやり取りを、記憶がまだはっきりしないうちから聞き続けられたというのは、ある意味で英才教育みたいなもんやと思う。そうやって俺らは育ててもらった。

 

家の近くには公設市場があって、隣にはスーパーマーケットがあった。
おばあちゃんは、毎朝のように市場とスーパーマーケットの間にある、スキマのようなせまい場所に板箱(はんばこ、合板を貼り合わせてつくった簡易な木箱)を並べて、そこに野菜を置いて売っていた。
俺といえば、学校帰りにランドセルを背負(しょ)ったまま、友達を連れてお小遣いをせびりに行く。おばあちゃんは忙しいから「待っときや。よしみ」と言われるが、その間が手持ち無沙汰で、おばあちゃんとお客さんのやりとりをまたじっと見ていた。

今になればよくわかるが、おばあちゃんが露天で出していた店は、市場とスーパーにはさまれた厳しい立地やった。でも、おばあちゃんはデンと座りながら、道を通るお客さんの様子をじーっと見て、ふとした瞬間に声をかける。「お客さん、お忘れものですよ」って。お客さんが驚いて「なにを?」って振り返ったら、ニコッと笑って、売り物として並べた大根を指差し、「大根買うの、忘れてますよ」と。そうなるとお客さんも、あきらめたような笑いを浮かべて「おおばあちゃんには負けたわ」と言いながら、がま口から小銭を取り出す。

そんな光景こそ、俺が見てきた「客商売」やった。

(つづく)